手のひら療法には、肉体の解剖学だけでなく、意識の解剖学が必要。(山脈放送局より)

手のひら療法には、肉体の解剖学だけではなく、意識の解剖学が必要になります。意識つまり心と言えるものですね。それをよく表したのが、古代インドやその他の古代医学です。人間がやることには、いつでもどこでも心がからみます。それでこそ人間の骨であるし、臓器なんです。それを古代人たちは、素直に認めていました。チャクラとは、人の体の正中にある臓器のようですが、それは臓器だけではなく、「働き」のような心の作用を持っています。ですからチャクラは、肉眼では見えません。それでもそれはあります。

古代のアジアの人たちに共通する解剖学です。人を元気ずかすには、へそのすぐ下にある丹田などを活性化させて、心も生き生きさせるのです。でも丹田の姿はありません。姿は、見えないですけれど、心や意識では、つかめます。そのような心の作用を追い求めて、「手のひら療法」も追うのです。このような解剖学は、古代では、常識でした。日本でも江戸時代中期までは、当たり前でした。西洋の解剖学の細かさ、現実の臓器にそっくりなのに騙されて、江戸時代中期頃より日本の医学は、変わったのです。当時の漢方家たちも、蘭学の先進性に驚いて、タジタジになってしまったのです。

でも結局は、当時のヨーロッパの医学は、犯罪者たちの死人の医学で、そこに生ける生き生きとした生命の医学では、ありませんでした。それは後の時代になって挑戦されてきました。